選手達や関係者の方々の様々な活動

女子サッカーは、男子サッカーに比べると知名度や注目度はあまり高くはありません。

ですが、ここ最近では多くの方に注目を集められ高い人気を誇るようになってきました。

多くの方に注目を集めるキッカケになったのが、日本女子代表「なでしこジャパン」の世界での活躍ぶりです。

その活躍ぶりが注目を集め、女子サッカーの知名度を上げる事に繋がりました。

全国でも女子サッカーのリーグ数が徐々に増えてきているようで国によっては、各種のカップ戦の大会が行われているようです。

女子サッカーの歴史は100年以上だと言われていますが、女子サッカー自体を中々認めてはもらう事が出来ず、長い間苦戦を強いられてきました。

1920年代頃のイギリスでは、女子サッカーの人気は高く、5万人を超える観客が女子サッカーの試合を観戦する事もあったようです。

日本では大正時代の女学生たちが、はかま姿でサッカーを行っている写真が残されている事から、その時代から女子サッカーが行われていたと言われています。

ですがその後、女性がサッカーに関わるのはマネージャーとしてが主となって行き、サッカーを行う事が次第に減少傾向へと向かって行きました。

しかし1960年から1970年にかけては、徐々にサッカーを行う女性が増えていき、1966年には神戸市立福住小学校で「福住女子サッカースポーツ少年団」が結成されました。

また同じ年には、神戸女子学院中学部のチームも結成され、翌年の1967年にはこの二つのチームによる試合が開催される事となりました。

この試合の際には主審、副審も女性の方で行われ、試合は全てが女性だけで行うという形になりました。

その後は、徐々に女子サッカーの知名度も上がって行き、1972年には東京でFCジンナンが結成されたのを機に、ワイルド・イレブン・レディース、三菱重工女子サッカー部、三菱養和レディース、実践女子大学サッカー同好会などが結成され、チキンフットボールリーグや、横浜女子サッカーリーグなどのリーグも設立されました。

また関西地域では1976年に神戸FCレディースや、清水第八スポーツクラブ、高槻女子フットボールクラブ、などが結成、関西女子サッカーリーグが設立され女子サッカーに盛り上がりが見え始めてきました。

1989年には、日本女子サッカー連盟が女子サッカーの全国リーグの設立という決定を下し、日本女子サッカーリーグが設立される事になりました。

1978年に台湾で開催された「第2回AFCアジア女子選手権」に日本女子サッカーも出場し、初めてとなる国際試合を行いました。

1981年に香港で開催された「第4回AFCアジア女子選手権」の際に、日本は初めて正式な日本女子代表チームを結成しました。

ですが、日本サッカー協会からは費用の支給は頂けず、日本女子サッカー連盟が自前で費用を準備しなければならなくなり、その為、遠征費用の半分を選手達が自己負担しなければならないという厳しい現実となりました。

2008年に出場した「東アジア女子サッカー選手権2008」では見事優勝し、初めてとなるタイトルを獲得しました。同じ年に開催された北京オリンピックでは、第4位という成績を残しました。

現在では「なでしこジャパン」の愛称で多くの方に親しまれている日本女子サッカーですが、このような注目を集めるまでには、選手達や関係者の方々の様々な努力の基により成り立っていたとも言えるくらい苦労が多かったようです。

様々な経験を積み重ねて、現在の日本女子サッカーが成り立っていると思えば応援にも力が湧いてきそうです。