モッブゲームという祭りとして親しまれる

サッカーの起源説は諸説様々ありますが、最も多く伝えられている説は、8世紀頃のイングランドで戦争に勝利した際に敵国の将軍の首を切断し、その首を勝利の祝いとして蹴った事が始まりだとされています。

それが徐々に国内に広がっていき、一般市民の間でもモッブゲームという祭りとして親しまれるようになったそうです。

モッブゲームとは、将軍の首に見立てた球を王妃がお城から投げ、その球を一般市民の方々が蹴りながら競い合い、隣町にある門へ蹴り入れるというゲームだったそうです。

その他に伝えられている起源説には、8世紀以前のイタリアでカルチョという球を蹴りあうゲームが始まりだという説もあります。

カルチョとは数十人で行うゲームだったそうで、賞金を懸けて宮廷の門の前で球を蹴り合い競い合うゲームだったそうです。

フットボールよりもカルチャの方がゲームとして早く行われていたことから、カルチャがサッカーの起源だと言う方も多く存在します。

フットボールやカルチョのような球蹴り遊びは、ヨーロッパの各地で近世末まで行われていたそうです。

ですが現在のサッカーとは異なりルールなどが定められておらず、どちらかと言えば格闘技のような荒っぽいゲームだったそうで、時には死亡者が出てしまう事もあったそうです。

その為、1314年には禁止令が出されてしまうという結果になってしまいました。

しかも、1314年から1847年の533年間の間に42回もの禁止令が出されているとの報告もあります。

その後16世紀には宗教改革が行われた為、以前よりは厳しさも緩くなり試合が行われるようになって来たそうです。

その後、教育の一環としてイングランドのパブリックスクールで取り入れられ、近代的なスポーツへと近づいて来ました。

パブリックスクールでスポーツとしての体勢が整えられた事をキッカケに、今まで設けられていなかったルールが取り入れられるようになってきました。

ですが、それぞれのスクールによってルールが異なっていた為、試合を行う度にルールの調整が行われていたそうです。

その為ルールの統一協議が行われ、1846年にケンブリッジ大学で共通のルールが設けられることになりました。

これが基になり、現在のサッカーのルールが設けられていると言われています。

しかし1850年にかけては、イートン・カレッジ校を中心とする手の使用を禁止するというルールと、ラグビー校を中心とする手の使用を許可するという、二つのルールの意見を求める対立が起こってしまいました。

意見の食い違いで、両者の間には長期にわたり大きな蟠りが出来てしまいましたが、1863年に最終的なルール統一を定める協議が行われました。

しかし、そこでも両者の意見が合意する事なく協議の終了に至ってしまいました。

この協議がキッカケとなり、遂にサッカーとラグビーが決別となってしまったそうです。

この決別こそが、サッカーが誕生した瞬間となったのです。

この決別を機に、フットボール・アソシエーションがパブリックスクールの代表者の方々によって設立され、正式にアソシエーション・ブットボールと呼ばれるようになったとされています。

サッカー誕生の頃の初期のルールでは手を使ってボールをキャッチする事に禁止はされておらず、まだサッカーとラグビーの区別が明確にはされていなかったようで、徐々にサッカーの統一ルールが確立されていき、現在のようなラグビーとは異なるルールに定められていったそうです。